エンデ全集〈15〉オリーブの森で語りあう―ファンタジー・文化・政治本無料ダウンロード
エンデ全集〈15〉オリーブの森で語りあう―ファンタジー・文化・政治
によって ミヒャエル エンデ
4.2 5つ星のうち(2人の読者)
エンデ全集〈15〉オリーブの森で語りあう―ファンタジー・文化・政治本無料ダウンロード - 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 丘沢/静也 首都大学東京教授。1947年生。東京大学文学部卒業、同大学院(修士課程)修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
エンデ全集〈15〉オリーブの森で語りあう―ファンタジー・文化・政治の詳細
本のタイトル : エンデ全集〈15〉オリーブの森で語りあう―ファンタジー・文化・政治
作者 : ミヒャエル エンデ
ISBN-10 : 4000920553
発売日 : 2002/8/18
カテゴリ : 本
ファイルサイズ : 25 (現在のサーバー速度は18.63 Mbpsです
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エンデ・エプラー・テヒル著『オリーブの森で語り合う』1「人間は時間をずっと泥棒され続けているのをなぜ放置しているのか。」普段の生活を考えると、一日24時間、計画通りに進んでいる人はほんのわずかだろう。お金を泥棒されると、警察に訴えて躍起となるが、お金を無駄にしても何とも思わない。この時間、無駄だなと、思うだけでも進歩しているのではないか。その積み重ねで明日はこれをしないと、決めるだけでも。ただ、僕も人間だから、時間通りに行うのは嫌だ。なぜなら、ロボットになるから。一日の始まる、朝に計画を立てるのは良いが、そのスケジュール通り果たして、意味があるのか。堅苦しい。だから、おおよその計画を立て、自分の心にあったものを選択する。だから、選択するものを多く、頭にインプットしてみればよいと思う。2人間とはできる事にベストをつくして、死ぬのが最善か?「フランチェスカがニンジンの種をまいていた。そこへ旅人が通りかかって、「かりに来週にも世界が滅び、そのニンジンを食べることができないとします。その時、何をなさいますか」すると、聖フランチェスカはしばらく考えて、こう言った。「このまま種をまき続けるさ」と。人間は自分のできることしか、できないんだ。僕たちの前には黒い城塞が立ちはだかっている。それは越えられそうにない。マルテン・ルターが、これから植えようとするリンゴの木のことを話す時、おそらく聖フランチェスコから学んだのだろう。「持ち時間はあるのか」と聞かれると、「わからない」と答える。わかっているのは、いま自分が何をしなければならないか、ということだけだ」と。3量に重きを置かないで、質に重きを置く時代はいつ来るのか。「メリーゴーランドに乗っている人達は、いずれそのうち、乗り物ももろともに粉々になって四方八方に飛び散るしかない。少なくとも、そう予感している。ところが、自分になにができるかわからない。いや、もうなにも出来ないんだ。みんなは目を閉じている。経済的自由主義から生まれてくるものは、いとも経済のダーウィニズムでしかなく、結局、つまらない勝負をさせられるだろう。こういう形の経済が有効に機能したのは、資源が無尽蔵にあると考えられ、また、利用し搾取するとのできる植民地や労働力や土地があったあいだだけの話だ」と。「十六世紀になって、すべてを量で捕らえる思考が登場する。数えられるもの、計測、計量できるものだけが、正しいとされ、最後には質に関する現実までもがすっかり比定される。美というものは、測ることはできないが、存在する」と。今までは、発展途上国の資源があり余っていたが、早かれ遅かれいずれ枯渇する。毎年、襲う自然災害もそれを暗示してのことだろう。今、世界は方向転換すべきではないか。あまりにも、量を大事にし、その時に感じる質をおざなりにしていないか。贅沢を避け、質素な生活をしてみてはいかがなものか。断食をすれば、断食後の何でもない食べ物が何と美味しく感じられることか。それを忘れてしまった日本人。苦あり後、楽あり。客観的という言葉が正しいと同義語にされている。新聞などで、「それは客観的に正しい」という。逆に、主観的というレッテルは、錯覚の同義語になった。マスメディアも客観的を過大視しており、各個人の主観はどうでもいい、と思ってはいないか。4新しいものと伝統的なものの融合がベストでは?「ルネサンスは「古典古代に帰れ」という合言葉で始まった。宗教改革の合言葉は「聖書に帰れ」、プラハの春の合言葉は「マルクスに帰れ」だった。成熟した文化では、いつでも、新しいものは、古いものの復活と関係があるだろう」と。現代は、新しい事だけが良いという風潮がある感じだ。新製品は良いもので、古い製品は捨てる物というイメージがある。少しでも故障をして、部品を取り換えるとなると、下手をすると、新製品より高くなる。これはどうしてもおかしい現象だ。スマホなど、二、三年もすれば、まだ、そんな物を持っているんですか、という感じで世間で見られているように思う。5何事もバランス感覚を大事にすべきでは?「バランスは所有できないし、保存できない。絶えず新しく獲得していくしかない。創造のプロセスがずっと続く。ダンスのようだ。ダンスは、いつもバランスを崩しては、またつねに新しくバランスを手に入れるわけだからね」と。一つの事に偏るのは出来るだけ避けたい。読書でも同じ系統の本ばかり読んでも、専門家になれるかしれないが、専門バカと言われる奴で、広大な世界のほんの一端を垣間見たに過ぎない。どうも、広く浅く知る方が脳を活性化させると思う。食事も、いろいろな健康食が紹介される。或る時は、糖質制限がよい、或る時は玄米菜食がよい、ある時は断食が良いなど。しかし、どれもこれも間違っているのではないか。反対に、これらの健康法をできるだけ取り入れ、日々、体調に合わせて、変えていくのが良い、と思っている。6雑念をはらって、待つと、達人に?「ヘリンゲル師が『弓道の禅』で「木の葉に積もった雪が落ちるように、ひとりでに矢がはなたれるまで、力一杯引っぱったまま、雑念をはらって待つのだ」と。この一文を読んで感じたのは、雑念をはらう一番よい方法は座禅だろう。成功者の伝記を読むと、マインドフルネスをしている人がやたらと多い。一日、五分でも腹に心をこめて、座禅をしてみては。
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